陰陽師

陰陽師

陰陽師記事一覧

陰陽師というと平安時代というイメージが強いかもしれませんが、陰陽師が務めた「陰陽寮」は、奈良時代中期に施行された『養老令』下にあり、『養老令』は飛鳥時代末期に施行された『大宝令』とほとんど同じ内容です。陰陽道のベースとなる陰陽五行思想は、飛鳥時代にはすでに伝わっていたので、陰陽師の歴史は飛鳥時代から始まったといえます。平安時代のイメージが強いのは、平安時代に陰陽道の宗教化と陰陽師の神格化が起こった...

陰陽師は明治維新後に撤廃されてしまいますが、律令制の下で出来た、中務省陰陽寮陰陽師は、江戸時代まで健在でした。むしろ江戸時代には陰陽道信仰が盛り上がり、かなり多くの陰陽師が活躍したんですよ。江戸時代の陰陽師の役割江戸時代は経済発展の時代です。様々な土地が開発され、様々な新しい施設が建設され、インフラが急速に整っていきました。この時代の陰陽師は、土地の吉凶、建物の風水など占ったりするのに引っ張りだこ...

陰陽師の属す陰陽寮は室町時代でも存続していましたが、朝廷の政治力の衰退もあり、その下に仕える陰陽師の存在感も低下していました。ついには陰陽道に懐疑的だった豊臣秀吉による弾圧を受け、室町時代末期にはほぼ権威を失ってしまっていました。民間の陰陽師が活躍その代わり陰陽寮に属さないフリーランスの陰陽師が民間の信仰を集めていましたが、応仁の乱など戦乱で荒れていた時代ですから、星を読み未来への展望を示してくれ...

様々な伝承で陰陽師の活躍が言い伝えられていますが、古典にしろ、伝承にしろ女性の陰陽師がいたという話は皆無です。それもそのはず。陰陽師とは律令制下で実際に存在した官職名で、いわば国家公務員みたいなものです。女性が政治に口出しすることが許されなかった時代ですから、公務員は男性が独占していました。日本で女性に参政権が与えられたのは20世紀に入ってからですから、飛鳥時代(6世紀)から明治時代(19世紀)ま...

陰陽師と巫女は漠然と似たようなものと認識している人も多いと思います。確かにどちらも霊的なものに関わるというイメージが強いです。まず簡単に両者の仕事内容を見てみましょう。陰陽師律令制において中務省に属する機関の一つ『陰陽寮』の官職。風雲・天文観測などから、暦を作り、生活のあらゆることがらの吉凶を占う仕事。巫女神に仕える女性で、神々のメッセージを人々に届けた。神楽、祈祷、占い、口寄せなどを行った。確か...

陰陽師というのは、奈良時代以降設置された「陰陽寮」という国家機関に属する正式な職業でした。しかし明治維新後に陰陽寮が廃止され、陰陽師・陰陽道は排訴、活動すら禁止されてしまいました。少なくとも「律令制において中務省に属する機関の一つ『陰陽寮』の官職」という本来の意味での陰陽師という存在は現代には存在しません。昔は免許制度があった昔は国家資格のように、国に特権を与えられた土御門家が発行する免状を取得し...

陰陽師といえば安倍晴明の名ばかりが知られていますが、陰陽師とはかつて実際に存在した官職ですので、当然ながら清明以外にもたくさんの陰陽師がいました。飛鳥時代の陰陽師■恵慈(えじ) 595年(推古天皇3年)に高句麗から来朝し、聖徳太子の仏法の師となった人です。■僧旻(そうみん)遣隋使・小野妹子に従って随に渡り、陰陽五行思想、仏教などを学びました。流星を天狗の吠え声と主張し、彗星の出現は飢饉の前兆だと予...

陰陽師というのは、風雲・天文観測をして、暦をつくり、吉凶を占うのが仕事です。創作物では霊や魂を沈めたりする霊能者まがいのこともやっていますが、それは主な仕事ではありません。陰陽師⇒陰陽道という理論体系を学んで、修行に努めたものだけがなれる、後天的な存在。霊能力者⇒特殊な能力を供えて生まれてくる先天的な存在。根本的に異なる存在ですね。霊能力者はセンス、陰陽師は技術・学問といったらわかりやすいでしょう...

陰陽師とは、律令制下、陰陽寮という国の公的機関に所属していた官職のことです。昔はれっきとした職業であり、なるには国の任命が必要でした。厳しい修行に努め、陰陽道を学ばなければなれませんが、その為には陰陽寮の修習生にならなければなりません。しかし一般人はそもそも天文・陰陽・暦・時間計測などを学ぶことを禁じられ、陰陽寮の一切の書物の外部への持ち込みも禁止されていました。修習生になれるのは、最初は遣唐使と...

陰陽師が着ている服は、基本的には平安時代以降の貴族と同じ衣装です。狩衣(かりぎぬ)といって、貴族達が狩猟に出かけるときに着ていったことからこの名が付けられました。狩衣の特徴身一巾で脇があいている。襟が円く袖が広い。袖口には袖くくりの紐がある。脇は縫い合せていない。袖つけの前方があいていて後方でわずかに縫い付けてある。腕の上げ下げがしやすい非常に機能的な造りであり、その動きやすさから貴族が私邸でくつ...

陰陽師は風雲・天文の観測、暦数・時刻の管理運営を行い、生活のあらゆることがらの吉凶を占うことが主な仕事でした。もちろん勝手にやっていたのではなく、「律令制において中務省に属する機関の一つ『陰陽寮』の官職」なので、国家公務員と同じような職業だったのです。平安時代のイメージばかりが強いですが、最強の陰陽師として名高い安倍晴明の子孫である土御門家が隆盛を誇ったのは江戸時代です。19世紀後半というわりかし...

陰陽寮とは、陰陽師が所属していた日本の律令制において中務省に属する組織の一つです。天文、暦、時刻などを管理・作成する務めを果たします。「うらのつかさ」、「おんようのつかさ」とも呼びます。陰陽寮の構成陰陽寮は四等官制(※1)が敷かれ、長官に陰陽頭、陰陽道に基づく呪術・占術を行う博士・陰陽師、各修習生、庶務職などが置かれました。※1 四等官制:わかりやすくいえば長官の「かみ」、補佐役の「すけ」、文書審...

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