
安倍晴明については、妖狐の化身だった母・葛の葉についての伝説は有名ですが、彼の妻、後世の物語にたびたび登場する「梨花(りか)」という女性についてはほとんど知られていません。そこでこのページでは、そんな晴明の謎の妻・梨花について、史実・伝承・創作の境目をふまえて、情報をまとめていきたいと思います。
実は正史には梨花の記録がまったく登場しません。平安時代の文書や系図にも、晴明の妻や家族についての情報は残されていないんです。
なのに、なぜ「梨花」が知られているのかというと、江戸時代の物語本『安倍晴明物語』に登場するからです。そこから芝居や創作物で語られるようになって、伝説上の妻として定着していったんですね。
梨花の物語でもっとも有名なのが、ライバル芦屋道満との三角関係から始まる悲劇。詳細は以下の通り。
晴明が中国に留学していた3年間、道満はその留守をいいことに、晴明の妻・梨花と恋仲になっていました。ある日、道満は梨花に「晴明は中国で特別な書物を手に入れたらしいけど、それってどんなもの?」と尋ねます。梨花は「詳しくは知らないけど、金の小さな箱と栴檀(せんだん)で作られた木の箱を石の大きな箱にしまって、北西の蔵に保管してるみたい」と答えました。
道満は梨花に頼み込んで蔵を開けてもらい、2つの箱を取り出しますが、どちらの蓋もびくともしません。そこで道満が蓋に「一」と書いて叩いてみると、「一(いち)」の字が「うつ=打つ」と読めることから、蓋が開いたのです。
その中には、伯道上人から伝わった『金烏玉蒐集(きんうぎょくしゅうしゅう)』と、吉備公から受け継がれた『ホキ内伝(ほきないでん)』という2冊の秘伝書が収められていました。道満はこれらの書物をすべて書き写し、もとどおり石の箱に戻して隠しておきました。
しばらく後、晴明が宮中の宴で大酒を飲み、酔って帰宅した夜のこと。道満が訪ねてきて、「夢の中で文殊菩薩(もんじゅぼさつ)に会って、二つの秘伝書を授かった。その夢から覚めたら枕元に本当にあった」と話しました。
晴明は酔いに任せて「夢なんて妄想だ。聖人は夢など見ないものだ」と笑い飛ばします。道満は「いや、夢には意味がある。偉人たちも夢で啓示を受けたという話がある」と反論しましたが、晴明は「本物の聖人は心が澄んでいるから、くだらない夢など見ない。お前みたいな名誉欲の塊が、文殊菩薩から書を授かるなんてありえない」と一蹴します。
すると道満は怒りをあらわにして「それなら、その書があるかどうか、賭けをしよう」と迫ります。晴明は大笑いしながら「いいだろう、この首を賭けよう」と言いました。すると道満は懐から書き写した秘伝書を取り出し、「見よ、ここにある」と言って、晴明の首を切り落としてしまったのです。
道満はその首を五条河原に密かに埋め、そこは後に塚と呼ばれるようになりました。そして「これで晴明はいない。梨花と夫婦になれる」と満足げに語りました。
晴明の屋敷では、従者たちはみな倒れ、藁や木切れに戻ってしまっていました。しかし道満は術を使って、木切れに祈りを込めて人に変え、もとのように従者として復活させたといいます。
北宋の太平興国元年(西暦976年)の11月、中国・五台山にある文殊菩薩を祀ったお堂が、原因不明の火事で焼け落ちました。これを知った伯道上人(はくどうしょうにん)はただ事ではないと驚き、「きっと日本の晴明に何かあったに違いない」と察します。空を見上げて雲の流れを読み取ると、東の方角に死の気配が漂っていました。
そこで伯道は、死者を呼び戻す秘術「泰山府君法(たいざんふくんほう)」を行うと、祭壇に晴明の姿がぼんやりと現れ、何者かに殺されていたことが明らかになります。伯道はただちに日本へ向かい、仇を討つことを決意します。
京都に着いた伯道が、一条戻橋で晴明の居所を尋ねたところ、「晴明は弟子の道満との口論の末、昨年の11月に斬首された」と知らされます。伯道はさらに尋ね、「晴明の遺体は賀茂川(鴨川)の五条河原に埋められた」と聞き、すぐさまその地へ向かいます。
河原の土を掘り起こすと、朽ちかけた晴明の遺体がばらばらになって埋まっていました。伯道はそれをひとところに集め、「生活続命(しょうかつぞくめい)」という蘇生の秘術を施し、晴明を元通りの姿に生き返らせることに成功します。
しかし伯道は怒りをおさえず、「私が与えた三つの戒めをすべて破った」と晴明を叱ります。その後、二人は道満の屋敷へ向かい、晴明を物陰に隠したまま伯道だけが中へ入ります。
伯道が「晴明に会いに来た」と言うと、道満は「もう去年死んだ」と返します。しかし伯道は「昨日、晴明と約束して今日泊まることになっている」と譲らず、道満があざ笑うと、伯道は真顔で「晴明がここへ戻ってきたら、あなたの首をもらう」と言います。
道満は怒って「晴明が生きていたら、俺の首をくれてやる。だがもし死んだままなら、お前の首を落とす」と言い返します。そこで伯道が晴明を呼び入れると、道満は顔色を失って逃げようとしますが、伯道が術で体を縛りつけ、動けなくします。
晴明は、かつて自分を騙して殺した道満の首を切り落とし、続いて帳台に隠れていた梨花も引き出して斬首しました。二人は同じ穴に葬られ、その場所は後に「道満塚」と呼ばれるようになります。
最後に伯道は「今後の人生は慎ましく生きよ」と言い残して中国へ帰っていきました。
晴明は一定期間「物忌み(ものいみ)」と呼ばれる静養期間を経て、再び宮中に出仕しますが、貴族たちは「まさか幽霊では?」とざわつきました。事情を説明すると、「まことに不思議なことだ」と驚嘆され、晴明は元の官位である四位・主計頭(しゅけいのかみ)および天文道博士として復職が認められました。
この逸話は、安倍晴明物語一代記 三の中で語られている内容です。陰陽師・安倍晴明の超常的な存在感と、道満との因縁の深さを象徴する物語ですよね。梨花という女性の存在もまた、晴明をめぐる人間ドラマに艶やかさと悲劇性を添えているのです。
こんな悲劇的な伝説がある一方で、ちょっとほっこりする話も残されています。それが「梨花は霊感が強く、式神が見えてしまった」というエピソード。
だからこそ晴明は、妻が怯えないように式神を橋の下に隠していたんだとか。こんな細やかな気づかい、晴明のちょっと意外な一面が見えて面白いですね。
梨花というキャラクターは、歌舞伎や浄瑠璃、マンガ・アニメでもよく描かれる存在です。設定は作品によって異なるけど、だいたい以下のパターンで描かれることが多いです。
なんとも複雑な立ち位置で、物語にスパイスを与えてくれるキャラなんですよね。
大事なのは、「梨花」はあくまで創作上の人物だということ。もちろん史実で晴明に妻や子がいた可能性はあるけど、名前も性格も含めて確定できる資料は存在しません。
だからこそ、梨花はフィクションで魅力的に膨らんだキャラとして受け止めるのが正解かも。
五行要約