


安倍晴明については、妖狐の化身だった母・葛の葉についての伝説は有名ですが、彼の妻、後世の物語にたびたび登場する「梨花(りか)」という女性についてはほとんど知られていません。そこでこのページでは、そんな晴明の謎の妻・梨花について、史実・伝承・創作の境目をふまえて、情報をまとめていきたいと思います。
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安倍晴明といえば、陰陽道の代名詞ともいえる伝説の人物。その彼に「梨花(りか)」という妻がいた──そう信じている方も多いかもしれません。
でも実は、「梨花」という名前は、正史には一切出てこないんです。平安時代の記録や系図をいくら調べても、晴明の妻や家族の詳細はまったく残されていないんですね。
『日本紀略』『本朝世紀』などの歴史書や、陰陽寮の系図、貴族の家系資料にも、安倍晴明の妻の名前や人物像を示す記述は見当たりません。
つまり、梨花は歴史資料に現れない存在。名前すら不明というのが、史実における晴明の家族に関する現状なんです。
ではなぜ「梨花」という名前が広まったのでしょうか?
それは、江戸時代の読本『安倍晴明物語』(寛文2年・1662年頃)に登場するヒロインが「梨花」だからなんです。物語では、晴明が中国に留学しているあいだ、妻・梨花が宿敵の蘆屋道満に言い寄られ、晴明が帰国後にその裏切りを知るという劇的な筋立てになっています。
このドラマチックな展開が人気を博し、芝居や講談、のちの創作作品でくり返し語られるようになったことで、梨花は「晴明の妻」として定着していったんですね。
たしかに史実の人物ではありませんが、「梨花」は晴明を取り巻く伝説世界ではとても重要なキャラクターです。
夫婦愛、裏切り、宿敵との因縁──そのすべてを引き受けた梨花の存在は、物語の深みを生み出し、晴明の人間味や葛藤を描くうえで欠かせない役割を果たしています。
梨花という名は、晴明伝説を彩る“物語の華”として、後世の想像力の中で生き続けているのです。
梨花の物語でもっとも有名なのが、ライバル芦屋道満との三角関係から始まる悲劇。詳細は以下の通り。
晴明が中国に留学していた3年間、道満はその留守をいいことに、晴明の妻・梨花と恋仲になっていました。ある日、道満は梨花に「晴明は中国で特別な書物を手に入れたらしいけど、それってどんなもの?」と尋ねます。梨花は「詳しくは知らないけど、金の小さな箱と栴檀(せんだん)で作られた木の箱を石の大きな箱にしまって、北西の蔵に保管してるみたい」と答えました。
道満は梨花に頼み込んで蔵を開けてもらい、2つの箱を取り出しますが、どちらの蓋もびくともしません。そこで道満が蓋に「一」と書いて叩いてみると、「一(いち)」の字が「うつ=打つ」と読めることから、蓋が開いたのです。
その中には、伯道上人から伝わった『金烏玉蒐集(きんうぎょくしゅうしゅう)』と、吉備公から受け継がれた『ホキ内伝(ほきないでん)』という2冊の秘伝書が収められていました。道満はこれらの書物をすべて書き写し、もとどおり石の箱に戻して隠しておきました。
しばらく後、晴明が宮中の宴で大酒を飲み、酔って帰宅した夜のこと。道満が訪ねてきて、「夢の中で文殊菩薩(もんじゅぼさつ)に会って、二つの秘伝書を授かった。その夢から覚めたら枕元に本当にあった」と話しました。
晴明は酔いに任せて「夢なんて妄想だ。聖人は夢など見ないものだ」と笑い飛ばします。道満は「いや、夢には意味がある。偉人たちも夢で啓示を受けたという話がある」と反論しましたが、晴明は「本物の聖人は心が澄んでいるから、くだらない夢など見ない。お前みたいな名誉欲の塊が、文殊菩薩から書を授かるなんてありえない」と一蹴します。
すると道満は怒りをあらわにして「それなら、その書があるかどうか、賭けをしよう」と迫ります。晴明は大笑いしながら「いいだろう、この首を賭けよう」と言いました。すると道満は懐から書き写した秘伝書を取り出し、「見よ、ここにある」と言って、晴明の首を切り落としてしまったのです。
道満はその首を五条河原に密かに埋め、そこは後に塚と呼ばれるようになりました。そして「これで晴明はいない。梨花と夫婦になれる」と満足げに語りました。
晴明の屋敷では、従者たちはみな倒れ、藁や木切れに戻ってしまっていました。しかし道満は術を使って、木切れに祈りを込めて人に変え、もとのように従者として復活させたといいます。
北宋の太平興国元年(西暦976年)の11月、中国・五台山にある文殊菩薩を祀ったお堂が、原因不明の火事で焼け落ちました。これを知った伯道上人(はくどうしょうにん)はただ事ではないと驚き、「きっと日本の晴明に何かあったに違いない」と察します。空を見上げて雲の流れを読み取ると、東の方角に死の気配が漂っていました。
そこで伯道は、死者を呼び戻す秘術「泰山府君法(たいざんふくんほう)」を行うと、祭壇に晴明の姿がぼんやりと現れ、何者かに殺されていたことが明らかになります。伯道はただちに日本へ向かい、仇を討つことを決意します。
京都に着いた伯道が、一条戻橋で晴明の居所を尋ねたところ、「晴明は弟子の道満との口論の末、昨年の11月に斬首された」と知らされます。伯道はさらに尋ね、「晴明の遺体は賀茂川(鴨川)の五条河原に埋められた」と聞き、すぐさまその地へ向かいます。
河原の土を掘り起こすと、朽ちかけた晴明の遺体がばらばらになって埋まっていました。伯道はそれをひとところに集め、「生活続命(しょうかつぞくめい)」という蘇生の秘術を施し、晴明を元通りの姿に生き返らせることに成功します。
しかし伯道は怒りをおさえず、「私が与えた三つの戒めをすべて破った」と晴明を叱ります。その後、二人は道満の屋敷へ向かい、晴明を物陰に隠したまま伯道だけが中へ入ります。
伯道が「晴明に会いに来た」と言うと、道満は「もう去年死んだ」と返します。しかし伯道は「昨日、晴明と約束して今日泊まることになっている」と譲らず、道満があざ笑うと、伯道は真顔で「晴明がここへ戻ってきたら、あなたの首をもらう」と言います。
道満は怒って「晴明が生きていたら、俺の首をくれてやる。だがもし死んだままなら、お前の首を落とす」と言い返します。そこで伯道が晴明を呼び入れると、道満は顔色を失って逃げようとしますが、伯道が術で体を縛りつけ、動けなくします。
晴明は、かつて自分を騙して殺した道満の首を切り落とし、続いて帳台に隠れていた梨花も引き出して斬首しました。二人は同じ穴に葬られ、その場所は後に「道満塚」と呼ばれるようになります。
最後に伯道は「今後の人生は慎ましく生きよ」と言い残して中国へ帰っていきました。
晴明は一定期間「物忌み(ものいみ)」と呼ばれる静養期間を経て、再び宮中に出仕しますが、貴族たちは「まさか幽霊では?」とざわつきました。事情を説明すると、「まことに不思議なことだ」と驚嘆され、晴明は元の官位である四位・主計頭(しゅけいのかみ)および天文道博士として復職が認められました。
この逸話は、晴明の活躍を伝説風に語る仮名草子『安倍晴明物語一代記 三』の中で語られている内容です。陰陽師・安倍晴明の超常的な存在感と、道満との因縁の深さを象徴する物語ですよね。梨花という女性の存在もまた、晴明をめぐる人間ドラマに艶やかさと悲劇性を添えているのです。

一条戻橋
安倍晴明の邸の近くにあった小橋。
怖がる梨花の為に式神を家の外の橋の下に隠したという伝承で知られる。
現在も京都一条通の橋として親しまれている。
出典:『戻り橋1』-Photo by tanohei/Wikimedia Commons CC BY 3.0
梨花といえば、晴明を裏切った悲劇的な存在──そんなふうに語られることもありますが、ちょっと心が温まるような伝説も残っているんです。
それが、「梨花には霊感があって、式神の姿が見えてしまった」というエピソード。
この話によると、梨花は普通の人には見えないはずの式神の姿を見てしまい、怖がってしまったんだそうです。
霊的な感受性が強かったからこそ、晴明が召喚して使役していた式神たちの気配や姿を、ふとした拍子に感じ取ってしまったのでしょうね。
もちろんこれは、後世の物語の中で描かれた内容ではありますが、晴明の術の世界が家庭内にも影響していたという雰囲気が伝わってくる、面白いお話です。
式神を見て怯える梨花の様子に気づいた晴明は、なんと式神を家の外の橋の下に隠したといわれています。
この“橋”という場所もまた意味深で、都の中では「異界との境」ともされる場所なんですね。そこに式神たちを一時的に退避させていたわけです。
晴明はただの陰陽師ではなく、家庭では思いやりのある優しい夫でもあった──そんな姿が垣間見えるようで、なんだかほっこりしてしまいます。
上述したようなエピソードは、もちろん正史に記された事実ではありません。読本や芝居、創作の中で生まれた“伝説的なエピソード”です。
けれどもだからこそ、晴明の人間的な一面や、梨花という女性がどれほど大切にされていたかが伝わってくる気がしませんか?
物語というのは、史実では語りきれない想いや空気感を伝えるものでもあります。梨花と式神の話も、まさにそんな「人となり」を伝える美しい一幕です。
晴明の術と愛情が交差するエピソード──それが「式神を橋の下に隠した話」。
この小さな伝説には、陰陽師の知られざる日常と、夫婦の温かなつながりが息づいているのです。
梨花というキャラクターは、歌舞伎や浄瑠璃、マンガ・アニメでもよく描かれる存在です。設定は作品によって異なるけど、だいたい以下のパターンで描かれることが多いです。
なんとも複雑な立ち位置で、物語にスパイスを与えてくれるキャラなんですよね。
安倍晴明の妻として知られる「梨花」──でも実は、この人物、史実には登場しない創作上の存在なんです。
平安時代の文書や系図をいくら調べても、晴明の妻やその名前に関する記録は見つかっていません。もちろん、晴明に妻や子がいた可能性は十分にありますが、名前も性格も確定できる資料は現時点で存在しないというのが実情です。
それでも、梨花という名は物語の中で生き続け、今では多くの人が「晴明の妻」として彼女を認識しています。では、そんな彼女の物語から、現代の私たちは何を学ぶことができるのでしょうか?
梨花が広く知られるようになったのは、江戸時代に成立した読本『安倍晴明物語』によるものです。そこでは、梨花は霊感を持ち、晴明の式神を見てしまったり、道満に心を揺らがされたりと、ドラマチックな存在として描かれています。
これらはすべて創作ですが、だからこそ現実には描ききれない人の弱さや優しさ、葛藤を投影することができたのではないでしょうか。
創作の中で梨花は、時に弱さを見せ、時に迷い、そして時に晴明の優しさに触れます。その姿には、現代を生きる私たちが共感できる要素がたくさん詰まっているんです。
たとえば、式神を見て怯える梨花のために、晴明が式神を橋の下に隠してあげたという話があります。
これは単なる逸話ではなく、「大切な人が安心できるように配慮する」というメッセージそのものです。
霊感のある妻を思いやる晴明の姿は、超人的な陰陽師というイメージとは違って、とても人間味にあふれていますよね。
どんなに強い力を持っていても、人を気づかう優しさがあってこそ、本当の意味で尊敬される存在になれるのだ──そんな教訓がここには込められているのかもしれません。
梨花が実在の人物ではなかったとしても、彼女の物語が私たちの心を動かすのは、「物語の中に真実がある」からです。
史実と創作をしっかり見分けながらも、創作の中に宿る人間らしさや普遍的な価値をすくい取る視点こそ、現代に求められている態度なのではないでしょうか。
大切なのは、「本当にあったかどうか」ではなく、「その物語から何を受け取るか」。
梨花のようなキャラクターは、史実にないからこそ自由に描かれ、読む人の心に静かに語りかけてきます。
梨花という存在は、史実にはいないかもしれません。でも、物語の中で彼女は生きている──それも、私たちに大切なことを教えるために。
事実と物語のあいだにある“想像力の空間”こそが、伝承の本当の魅力なのかもしれませんね。
五行要約
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