安倍晴明

安倍晴明

安倍晴明記事一覧

安倍晴明にまつわる伝説的な逸話の数は圧倒的であり、そこから清明=最強の陰陽師というイメージが確立され、今や陰陽師の代名詞とも言える存在です。ここではそんな清明の圧倒的存在感を確立するに至った数々の逸話の中から、5つ厳選してご紹介したいと思います。1.最強の式神を使役する。陰陽師は式神を使役し、呪術や占いを行ったことでも有名です。そして安倍晴明が使役していた式神は「十二神将(十二天将)」と呼ばれる1...

安倍晴明は幼子の頃から妖怪や霊など異界の存在を見ることができたといいます。【安倍晴明の師匠賀茂忠行ってどんな人?】でご紹介したエピソードからも見て取れるように、元々霊力が高く才能に溢れていたのです。そしてこの霊力の高さには、清明の「ある血筋」が関係していると考えられます。清明の母親の正体ある伝承では、清明の母親は、葛の葉(くずのは)と呼ばれる化け狐であったといわれています。葛の葉と清明の父保名(や...

史実における安倍晴明の妻はよくわかっていません。ただ古典の物語では梨花(りか)という女性が妻として登場します。寛文2年(西暦1662年)刊行の仮名草子『安倍晴明物語』にはこんな話が収録されています。道満に妻を奪われる清明の巻蘆屋道満は清明との術比べに負けた故、清明の下に仕えていました。やがて道満は清明の妻・梨花に恋心を抱くようになり、清明の中国留学中、梨花と関係を持ってしまったのです。しかし清明が...

安倍晴明は平安時代の人で、晩年・死因について、詳細のわかる史料は残っていません。清明のものとされる墓も複数存在し、どれが本当の墓だかわかっていません。(安倍晴明の墓地はどこ?もご参照ください)ただかなり長生きしたことは確かなようで、生誕921年で、死没が1005年ですから、83〜84歳くらいまで生きたと考えられています。40歳ですでに老人といわれた時代ですから、80歳まで生きるというのは相当すごい...

安倍晴明の師匠は、賀茂忠行(かもの ただゆき)とされています。忠行は陰陽道に優れ、天皇から絶対的な信頼を得ていたそうです。忠行は陰陽道の3部門「天文道・暦道・陰陽道」全てに通じる非常に有能な人物で、3部門を統括し陰陽家・賀茂氏を確立したことで知られています後に賀茂氏と弟子筋の安倍氏二氏による陰陽寮および陰陽道独占のベースとなりました。陰陽道の歴史を語る上で、清明の弟子ということ以上に外せない人物な...

清明神社は、祭神として安倍晴明を祀っている神社です。京都市上京区一条戻橋のたもとにあり、当時としては都の端にあたる場所で、内裏を護る役目を果たしていたそうです。現在は厄除けや病気平癒、家内安全など各種様々な祈願をやっています。一の鳥居の額に堂々と掲げられている神紋は、安倍晴明の象徴的なマークである五芒星です。神々しく金色に光り輝いています。清明神社の歴史寛弘2年(1005年)に清明は亡くなりました...

安倍晴明は1005年に死没していますが、彼の墓地がどこにあるのかはっきりわかっていません。墓地はあるにはあるのですが、「清明の墓地」として語り継がれる場所が全国に複数あり、どれが本物なのかわからないといった感じです。しかしいずれも清明に縁ある地として信仰が根強い地域ですので、いくつか有名所を紹介したいと思います。京都府嵯峨嵐山清明は嵯峨野の「塔頭・寿寧院」に葬られたと伝えられたという説から、晴明神...

安倍晴明は西暦921年2月21日この世に生を受けました。出身地についてはいくつか説がありますが、摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたという説が最も有力です。『葛乃葉(くずのは)伝説』において、摂津国阿倍野の安倍保名(あべのやすな)と、信太の森に住む女性に化けた狐との間に生まれた子が清明であることが語られています。葛乃葉(くずのは)伝説の内容についてはリンク先で詳しく紹介していますが、狐は信...

蘆屋道満こと道摩法師という人物は、陰陽道に優れ、安倍晴明のライバルと目された平安時代の陰陽師です。大抵の伝承で清明のライバルとして登場し、さらにかなりの確率で正義の味方清明を陥れようとする憎き悪役という役回りです。現代の映画や小説でもそんな役回りばかりやらされるものだから、今なおダークなイメージがつきまとっているちょっと不憫な人です。(最近ジャンプでやってたぬらりひょんの孫なんかでは、珍しく清明が...

トップへ戻る